金属バットメモ

お漫才師「金属バット」についてのメモ

金属バット(特に友保)は天才か

(今度はちゃんと人に読んでもらっても大丈夫な文になるように書いたつもりだったのに、また途中からよけいにぐちゃぐちゃしてまた普通のメモみたいになっちゃった。いつか推敲してすっきりさせてまとめる。)

(以下本文)

 

言葉というのは何かを切り取ってカテゴライズするための記号にすぎず、天才という言葉をそこそこの頻度で使用する人は「すげえおもしれえ」くらいの意味で使っているのをわかった上で 以下。

これからは僕も、好きな人たちを本当に真剣に好きだから、彼らへの言葉を軽く使わないようにするために。自戒とおせっかいで書いてます。

 

ジョークで「天才」というには、金属バットは本当に怪しいところにいます。特に友保は。金属バットは本当にすごいコンビです。そして、本当に最も重く言葉を使ったときの「天才」でもありません。だから、彼らを少し誉めるくらいのつもりで天才と言ってしまうと、ちょっと洒落にならずに本気の言葉ととられてしまうことがあるのです。

(A「東大寺の大仏マジでけえ。神」B「いや、仏って神とは別なんだよ」的な。こういうBみたいなやつ嫌でしょう。BはAのスラングとしての「神」の使い方のノリをわかってないし、Aのことを神仏の見分けがついてないかもしれないやつだと思っている。要するにBは人をなめてるカス。この投稿はそんなBみたいなことをずっと書いてます。)

 

今回は特に友保について。僕は金属バットの二人だと小林の方がよく知らないけどジョンレノンみたいな感じがして(金属バットのハードを担ってるのは小林なんじゃないかと感覚的になぜか思うことがある、役割の大きさは本家よりショボいけど)好きですが(あと無防備過ぎてほっとけないね。そして何よりあの友保の隣にいながら物怖じせずにボケる姿に心動かされる。勇敢なのか、あるいはちょっと感覚が鈍いんだと思います。がんば小林、あとは基礎から)、やっぱり最初に金属バットを見慣れてきた時期に先に目に入るのは友保だと思います。

 

で、確かに友保はやっぱり努力でどうにもならないものを持っています。そして彼の持っているそれを別に各人何と呼んでもいいんです。天才でも神でもよきでもクセでもツボでも。ただ、僕は人の素質をまじめに称えるときに、「天才」よりも重く、誰にでも通じる言葉を知りません。だからこれは、本気で真剣に言う「天才」という言葉が最上級のつもりで僕もみんなも言ってると思うので、「僕もみんなと一緒で、あくまで軽いジョークおして『友保は天才』って言ってんだよ」、「本気で友保がこの世の芸人の最上位ランクだとは思ってないよ」というアピールです。(友保を天才と形容するときは「金属バット友保とかいう天才wwww」みたいなスレタイくらいのつもりで言ってますよってことです。本当にすごいと思って言ってはいるけど、天才って言葉に真に釣り合うものではないってのは知ってるよっていう。)

(それでも、やっぱり天才という言葉は軽はずみで使うと冗談だったとしてもあとで後悔してる。いままでの他の投稿で西田とか真栄田、そして友保に既に天才(or 天才的)という言葉を使ったけど、彼らは全員ものすごいとわかったうえで、それでも後悔した。思ってもないことを自分に嘘ついてまでわかりやすくしようとして言っちゃだめだね。)

 

メモにしてももっと簡潔に書けよ。言い訳長すぎるだろ。

 

なので、ラベルの名前は個人の頭の中ではおのおのの自由とわかった上で、僕は友保は「才能がある」と形容されるべき芸人だと思います。「金属バット友保には才能がある」←こういう書き方で。すごく重い意味でこの言葉を使っています。たとえば霜降り明星せいやはMVSを取るようなトークもできれば、言葉で普通にボケることもできますが、また本当に彼の底から滲む必死さのある最高の真似できないキャラクターも持っています。だけど、そのキャラクターをせいやが持ってるからといって「才能がある」と形容されるグループには入りません。彼がコントロールしてそのキャラクターを創作に入れ込むことができないからです(後述しますが必要以上の必死さ自体が面白いからです。才能がある人は思うがままに暴れてるんじゃないかと思います)。無邪気に、天衣無縫に「これ面白いだろ」と提案するものに自然な一貫性があり、そして確かに面白く、なおかつそうでない人が努力しても追い付けないものを持っている。そういう特徴を持つ人たちを形容しています。その人が目指す芸風が、その人自身の存在やキャラクターが一致している。

(あくまで僕がそういう言葉で思ってるってだけなので全部カギカッコつけますけど、)「器用な人」や「センスがいい人」、「本物(天然)」とかが、たまに友保とかと明らかに違うグループの人が「才能がある」的な表現をされるときに所属していがちなグループかなと思います。せいやは本物(天然)と言われるべきではいか。西川きよしとかと同じグループかな? Aマッソ村上とか。

 

ということで、その大事な「才能がある」というグループはどういうクラスなのかということです。

一応言葉では、無為自然、みたいなことを先述しましたが、具体的に他にこれに所属すると思われるクラスの芸人をあげます。(あんまたくさん芸人知らないけど知ってる範囲で)

とか。あと、全力がテレビに収まりきんなかったりして(くっきーみたいにねじ込むこともなく)今は大人しくしてたりするけどたぶん本来の素質がこのグループに属する人たちだと思われる人として

  • ケンドーコバヤシ
  • 板尾創路(これは天然の方が近いか?でも彼のボケと彼の生むハプニングの面白さは一貫したものがある気がする)
  • ランジャタイ伊藤

それと、動きメインとかで本当はよくわかんないけど(僕がもう少しうまく整理できるようになったら実は↓の彼らは違うグループになるのかもしれない)、今のところこのクラスに入れて見劣りしない人たちとして

とか?

(追記:四千頭身後藤やニッポンの社長辻とかも上記の彼らの内かも、そしてとんねるず木梨はケンコバのクラスかも 再追記:モンスターエンジン西森とかもちょうど板倉と同じ場所かな)

好きに呼ばれるはずですが、彼らはみんな天才のすぐ次のクラスのものを持っていると思います。彼らを天才っていうとあとあと後悔はしますけど、もうはっきりいって最上級って言われてても特に文句ないと思います。この上の真の天才なんて一人(僕が無知でまだ未定だけどひょっとすると二人)ですから。メディアではしばしばこれらのクラスの人はもう天才と称されているはずです。僕も自分のルール破ってさえも自分で流れで言っちゃったことあるけど、やっぱすごいよこの人ら。そりゃ言いたくなるよ。このクラスのうちのかなりの人が、彼らのファンの少なくとも誰かは「生まれてきてくれてありがとう」って思われたことがあるんじゃないですか?

だけど、お笑いとか以外でも「天才」「才能がある」って言葉が真摯に使われるとき、この使い方が重用されているような気がするのです。だから彼らのことを真剣に、厳密に尊敬したいときほど、「天才」という言葉を慎重に避けてしまいます。

 

それとあと大事なことですが、小さな木より高く育つ草があるように、上の例にあげたこれらのクラスの人の笑いが、ここまでの大きな才能の種を持たずとも間違いのないセンスを持っていて、その上で努力を重ねた人の笑いに負けるなんてことは往々にあります。安定感とかは多分大概後者の方があります。たとえばかまいたちとかそうなんじゃないでしょうか。

 

上にあげた、「才能がある」と形容したい人たちには共通して、根底に無邪気さが感じられるような気がします。でも別にこれが定義ではないと思います。定義はまだ自分のなかでもはっきり整理つきませんので、いつかまとめられたらなと思います。

 

(以上本文)

 

要するに、友保は本物の天才よりすごくはないけど、それにしてもそのすぐ次くらいにむちゃくちゃすげえんじゃねえかっていうことです。

 

あとAマッソ加納とかジャルジャル後藤、笑い飯哲夫とかはどこに属するのかとか考えたい。彼らを西田とか粗品と同じグループに分けるのはなんか変な感じがする。