金属バットメモ

お漫才師「金属バット」についてのメモ

金属バットが似てると言われる芸人、Aマッソ編

偉大な親の穴兄妹

金属バットとの交流もあるAマッソですが、ネタが似ていると言われることがあります。

この二組はかの大漫才師・笑い飯の流れを受けている二組ですね。

特にAマッソ加納は有名になるきっかけになった「笑けずり」内で、笑い飯への尊敬の念を隠していませんでしたね。

 

加納「ベタな設定をするなするな、っていうのが教科書やと思ってたんで」

カメラマン「それ誰から教わったんですか?」

加納「笑い飯さんです」

これに見られるように、加納が笑い飯に影響を受けている要素としてはネタの奇抜な設定があげられます。

Aマッソと細かい違いでは笑い飯はビジュアルの笑いが多いネタがありますが、Aマッソにはビジュアルの笑いはほとんどなく、言語的に突飛な発想が多くを占めます。これをむちゃむちゃざっくり言うと、「あるある」の要素が笑い飯は多い、Aマッソは少ない、と言いかえられます。Aマッソはネタをリアルに見せようという方針ではない、ということですね。彼女らがコントも得意としているのも納得です。

二人の演技がいかにも芝居がかっているのも、ネタを虚構として扱いやすくし、振り切ったボケをネタの世界に馴染みやすくしています。「型で会話の主導権とる」(五目ラーメン)なんていわゆるしゃべくり漫才のものじゃないくだりがネタ中に入り込めるのは、Aマッソの二人の大袈裟な演技があるからです。

ジャルジャル(特に福徳)もほとんど同じ呪いにかかっています。ネタの構成もそうですし、演技そのものも相まって「漫才というよりコント」みたいな感じになっています。ジャルジャルは自分達がコント師であることに自覚を持っていますが、ひょっとするとAマッソの漫才のネタの中にもコントにした方がより面白さを増すネタもあるのかもしれません。

 

文書くのだるっ

Aマッソと金属バットの共通点としてネタ中に非日常的でいかちー言葉が入ることがあげられるけど、これは笑い飯とは関係ないんすよ。笑い飯は別に語彙力は売りにしてないから。でそのいかつい言葉って言うのもAマッソは加納の読書家な面から来るひねり出された高偏差値な言葉で、金属バットは天然スラム街育ちみたいな育ちからくる殺伐とした低偏差値な言葉なんだよ。Aマッソは言葉自体が難しくて、金属バットは言葉自体は難しくないけど普通の語彙で面白い言い方をしたりするんだよ。な。

笑い飯から影響を受けたいかれた設定ってとこでも、加納は言語的な奇抜さで発想を飛ばすけど、金属はわりと本家と同じくビジュアル方面でボケるんだよ。まあ金属どっちもできんだけどな。小林が言語、友保がビジュアル、みたいな感じよ。でも全体のイメージは友保の方がボケがんがん出せるからビジュアル寄りな印象になるんすよ。だから金属もあるあるの要素多いって言えんね。よかったね!これで帰れるね!ね!

ここまででわかる通りビジュアルの笑いのクオリティは、その芸人が頭の中に持つあるあるの精度そのものに直結します。

 

というわけで、Aマッソも金属バットも笑い飯の傘下に分類できるものの、それぞれ遺伝した部分がAマッソは設定のコントとしての奇抜さ、金属バットはビジュアル的な笑いや根本がしゃべくりである漫才特有のメタ的なボケであり、遺伝部分が似ているわけではない。

二組が似ている部分である言語的なボケというのは、それぞれのコンビの読書家、加納と小林が偶然にも持ち合わせた共通のボケの形から来てるわけです。だから笑い飯の傘下であることと二組が似てることは関係ないです。たぶん。

Aマッソもダブルボケみたいな形式のネタは普通にある。

でもこれは笑い飯がこの形式を採用したときの最大の効果である、コント内のキャラ二人ではなく現実世界の漫才師二人であることを実感させるための効力はない。これは先述通りAマッソのコント外の演技が芝居がかっているからだ。

逆にこれは生粋の王道しゃべくり漫才だが、ワードセンスそのままにAマッソの魅力は最大限に発揮されている。二人の演技は他のネタと比べて自然なものになっている。もし人にAマッソのネタを初めてすすめるならこの動画がいいのではないだろうか。

Aマッソのことを良く知ったあとなら、村上はたぶんほんとうにアホなので実はネタ内の演技が平場でのおちゃらけとほとんど同じであることがわかって面白いかもしれないが、やはり初見では共感できる演技が肝要だ。Aマッソは福徳と同じ病を克服できるだろうか。それともそこはかえずに天下を狙うのだろうか。

 

あと、金属バットの言語的なボケっていうのは無人島の「叙述トリック」やプリクラの「永遠のエネルギー」とかね。これ先言っといたら良かったね。ダボが。